AI(人工知能)は、今やビジネスのあらゆる場面で活用が進み、生産性向上や新たな価値創造に不可欠な存在となりつつあります。しかし、その導入と活用を加速させる一方で、AIがもたらすリスクへの対応は十分に追いついているでしょうか?
こうしたリスクを適切に管理し、AIの恩恵を最大限に引き出すために不可欠となるのが「AIガバナンス」の構築です。本記事ではAIガバナンス構築を成功させるための主要な5つのステップ(+継続的な改善)と、そのポイントを、実際の企業の取り組み事例も交えながら分かりやすく解説します。
ステップ1: 環境・リスク分析 ~自社とAIを取り巻く状況を知る~

AIガバナンス構築の第一歩は、現状を正確に把握することです。経営層のリーダーシップの下、以下の3つの観点から分析を行います。
- 便益とリスクの理解: 自社の事業にAIを導入・活用することで、具体的にどのような便益(コスト削減、新サービス創出など)が期待できるのか、一方でどのようなリスク(技術的リスク、社会的リスク、組織・管理上のリスクなど)が潜んでいるのかを洗い出し、経営層を含む関係者全員で共有します。AIインシデントデータベース(AIID)や関連書籍、各種レポートなどを参考に、具体的なリスク事例を学ぶことも有効です。
- 社会的受容の理解: 開発・提供・利用しようとしているAI技術やサービスが、社会やステークホルダーからどのように受け止められているかを理解します。公的機関のアンケート調査、研究論文、市民団体の意見、ニュース、SNSでの反応などを参考に、社会的な期待と懸念を把握します。特にリスクが高いと想定されるAIについては、外部有識者の意見を聞くことも重要です。
- 自社のAI習熟度の理解: 自社のAI開発・利用経験、関連する従業員のスキルや人数、AI技術・倫理に関するリテラシーレベルなどを客観的に評価します。これにより、自社の現状の実力と、導入しようとしているAIのリスクレベルが見合っているかを確認できます。経団連の「AI活用戦略」やJDLA(日本ディープラーニング協会)の検定などを活用するのも良いでしょう。
事例のヒント
NECグループでは、国内外の原則や自社の状況を踏まえてリスクを検討し、社内外のステークホルダーとの対話を経てAIポリシーを策定しています。また、ソフトバンクでは、国内外のAIインシデント事例をe-learningなどで全社員に共有し、リスク認識を高めています。
ステップ2: ゴール設定 ~目指すべき方向性を定める~

ステップ1の分析結果を踏まえ、自社がAIガバナンスを通じて何を目指すのか、具体的なゴールを設定します。
- AIガバナンス・ゴールの設定: 自社の経営理念やビジョンと整合性を取りながら、「AIをどのように活用し、どのような価値を目指すのか」「どのようなリスクを特に重視し、どう管理するのか」といった方針を「AIポリシー」などの形で文書化します。必ずしも独自のゴールを設定する必要はなく、リスクが軽微な場合や、「AI事業者ガイドライン」の「共通の指針」で十分と判断した場合は、それを自社のゴールとすることも可能です。重要なのは、なぜそのゴールを設定したのか(あるいは設定しないのか)を説明できるようにしておくことです。
設定したゴールは、可能な範囲でステークホルダーに公開することが推奨されます。これにより、社内外からの信頼を得やすくなります。
事例のヒント
ABEJA社は、抽象的な原則を掲げるのではなく、受託開発事業では「顧客との対話」、顔認識サービスでは「プライバシー」といったように、事業内容に合わせて重要な価値を特定し、ポリシーを具体化しています。東芝グループは、経営理念体系をAI利活用の観点から具体化した「AIガバナンスステートメント」を策定しています。
ステップ3: システムデザイン ~ゴール達成のための仕組みを構築する~

設定したゴールを絵に描いた餅にしないために、それを達成するための具体的な仕組み(AIマネジメントシステム)を設計・構築します。ここでの取り組みは多岐にわたります。
- ゴールとの乖離評価と対応の必須化: 開発・設計段階から利用開始後まで、AIシステムやその運用が設定したゴールから逸脱(乖離)していないかを定期的に評価するプロセスを組み込みます。乖離が見つかった場合、そのリスクを評価し、受容できないレベルであれば、AIの開発・提供・利用のあり方を見直すことを必須とします。この評価プロセスには、客観性を保つため、当該AIに直接関与していない担当者や部門(例:リスク管理部門、法務部門)が関与することが重要です。業界標準の評価プロセス(例:ISO/IEC 42001、NIST AI RMF)を参考にしたり、独自のチェックリストを作成したりするのも有効です。また、乖離の可能性や対応策について、AI利用者へ十分な情報提供を行うことも求められます。
- 人材リテラシーの向上: AIガバナンスを適切に運用するためには、関わる人材のAIリテラシーが不可欠です。経営層、マネジメント層、現場担当者、一般従業員など、それぞれの役割に応じた研修プログラム(AI倫理、AI技術、リスク管理、自社のAIポリシーなど)を、外部教材なども活用しながら戦略的に実施します。
- 主体間・部門間の協力強化: AIの開発から利用までのバリューチェーンには複数の主体(AI開発者、提供者、利用者)や部門が関わります。営業秘密などに配慮しつつ、必要な情報を円滑に共有し、連携して課題解決にあたる体制を構築します。秘密保持契約の締結や、定常的な情報交換の場を設けることが有効です。特に、AI開発者はAI提供者へ、AI提供者はAI利用者へ、AIの特性やリスク、適切な利用方法などに関する十分な情報を提供することが重要です。
- インシデント予防・早期対応: AI利用に伴うインシデント(システム障害、情報漏洩、権利侵害など)を未然に防ぐための対策と、万が一発生した場合に迅速かつ適切に対応できる体制を構築します。これには、責任の所在の明確化、対応計画(BCPへの組み込みも検討)や手順の策定、関係部署や外部専門家との連絡体制整備、そして定期的な予行演習の実施などが含まれます。
事例のヒント
パナソニックグループは、AI倫理リスクを効率的にチェックできる「AI倫理チェックシステム」を開発・運用し、現場の主体的な取り組みを支援しています。富士通グループは、全商談を対象に「AI倫理審査」を義務付け、法務・研究開発・DE&I・事業部門などによる合議制で判断しています。NTT DATAは、AIリスク管理の専任組織を設置し、リスクチェックをプロジェクト意思決定プロセスに組み込んでいます。
ステップ4: 運用 ~仕組みを動かし、定着させる~

設計したAIマネジメントシステムを実際に運用し、組織内に定着させていくフェーズです。
- 運用状況の説明可能性確保: AIマネジメントシステムがどのように運用されているか(例: 乖離評価がいつ、どのように実施されたか)を記録し、関連するステークホルダー(経営層、監査部門、規制当局、顧客など)に対して説明できる状態を確保します。会議の議事録、研修の実施記録なども含まれます。
- 個々のAIシステムの運用状況のモニタリング: 実際に運用されている個々のAIシステムが、期待通りに機能しているか、予期せぬ問題が発生していないかを継続的に監視(モニタリング)します。入力データや出力結果のログを取得・分析し、問題があれば改善につなげるPDCAサイクルを回します。このモニタリングは、AI提供者やAI開発者と連携して行うことが効果的な場合もあります。
- 実践状況の積極的な開示検討: 自社のAIガバナンスに関する取り組み(ゴール、体制、運用状況など)を、コーポレートサイトや統合報告書などで積極的に開示することを検討します。これは、非財務情報として投資家や社会からの信頼を得るためにも重要です。
事例のヒント
ソフトバンクは、AI倫理・ガバナンスに関する研修を年1回、勉強会を年2回実施し、メールマガジンも毎月配信するなど、教育と情報共有を重視しています。神戸市は、AI条例を制定し、リスクアセスメント制度を運用するとともに、職員向けのガイドライン策定や研修を実施しています。
ステップ5: 評価 ~機能しているか検証し、改善へ~

AIガバナンスの仕組みが形だけでなく、実質的に機能しているかを定期的に評価し、継続的な改善につなげます。
- AIマネジメントシステムの機能検証: AIマネジメントシステムの設計や運用から独立した、専門性を持つ担当者や部門(例: 内部監査部門)または外部の監査主体によって、システムが設定したゴール達成に向けて適切に機能しているかを客観的に評価します。評価結果に基づき、改善点を特定し、次のアクションにつなげます。
- ステークホルダーの意見の検討: 顧客、従業員、有識者、市民団体など、社内外のステークホルダーからAIガバナンスの仕組みや運用に対する意見やフィードバックを求め、それを評価・改善プロセスに反映させることを検討します。外部有識者会議を設置したり、業界団体での議論に参加したりすることも有効です。
事例のヒント
NECグループや富士通グループは、AI技術、法学、倫理、消費者問題など多様な分野の外部専門家を招聘した諮問会議や外部委員会を設置し、客観的な評価や助言を得て経営に活かしています。Ubie社は、ヘルスケア業界団体に参加し、他社との情報共有やルールメイキングにも関与しています。
継続的な改善:環境・リスクの再分析
AIガバナンスは一度構築したら終わりではありません。AI技術は急速に進化し、社会的な要請や規制環境も常に変化しています。
- 環境・リスクの適時再分析: ステップ1で実施した環境・リスク分析(便益/リスク、社会的受容、自社習熟度)を、定期的(例: 年1回)または必要に応じて(例: 重大なインシデント発生時、新技術登場時、規制変更時など)見直し、AIガバナンス・ゴールやマネジメントシステム全体を継続的に改善していく必要があります(アジャイル・ガバナンス)。
AIガバナンスの考え方を組織文化として根付かせ、全従業員が当事者意識を持って取り組むことが、継続的な改善の鍵となります。
まとめ:AIガバナンスは「旅」である

AIガバナンスの構築は、特定の部署だけではなく、経営層の強いリーダーシップの下、全社的に取り組むべき重要な経営課題です。今回紹介した5つのステップ(+継続的な改善)は、その羅針盤となるでしょう。
ただし、これはチェックリストを埋めるような単純な作業ではありません。自社の事業内容、規模、AI活用の状況、そして社会からの期待を踏まえ、ガイドラインや他社事例を参考にしつつも、自社にとって最適な形を模索し、試行錯誤を繰り返しながら継続的に改善していく「旅」のようなものです。この旅を着実に進めることが、AI時代における企業の持続的な成長と社会からの信頼獲得につながるのです。