2026年のAI投資は「最高性能のAPIを買う」から、「自社で回せるフロンティア級モデルを持つ」へと軸足が移りつつあります。その転換点として注目されるのが、Alibabaのオープンウェイトモデル「Qwen3.5-397B-A17B」です。総パラメータは397B(3970億)級でありながら、推論時に有効化されるのは17B(170億)相当。結果として、1兆パラメータ級モデルに迫る(あるいは上回る)ベンチマーク性能を、はるかに低い推論コストで狙える構成になっています。本記事では、B2Bの導入判断に必要な観点(アーキテクチャ、速度/コスト、長文、マルチモーダル、多言語、エージェント、運用・ライセンス)を実務目線で整理します。
1. Qwen3.5-397B-A17Bの概要:1兆級モデルに勝つ「疎なMoE」とは
Qwen3.5-397B-A17Bの最大の特徴は「疎(スパース)なMoE(Mixture of Experts)」です。MoEは、巨大なモデルを多数の“専門家(エキスパート)”に分割し、入力トークンごとに必要な専門家だけを選んで計算する方式です。Qwen3.5では総パラメータは397Bですが、各トークンで実際に動くのは17B相当で、計算量・レイテンシ・コストを抑えながら、必要時には多数の専門家の知識・推論力を引き出せます。

本モデルは、先行する超スパースMoEの流れ(Qwen3-Next系)を本格的にスケールさせた位置付けで、エキスパート数を大幅に増やした設計が示されています。企業調達の観点では「クラウドAPIで借りるしかなかった超大型モデル級の推論を、所有・制御できる形で運用しやすくする」ことが主眼です。つまり、性能だけでなく、データガバナンスやコスト予見性まで含めて“買えるフロンティア”になってきた点が重要です。
疎なMoEがB2Bで効くポイント
- 推論時の計算が“常に400B級”にならず、実運用のコストが読みやすい
- 専門領域の問い合わせで強みが出やすく、社内ナレッジ/業務文脈に適合しやすい
- 「大きいが遅い」ではなく、「大きいが実用速度で回る」を狙える
2. 速度・コスト・長文対応の進化:256K〜100万トークンで何が変わるか
Qwen3.5は速度と長文対応の両面で、調達判断に直結する改善が強調されています。公開情報では、256Kコンテキストでのデコードが旧フラッグシップ(Qwen3-Max)比で大幅に高速化され、さらに推論コストも削減されたとされています。長文処理は「できる/できない」ではなく「待てる/待てない」「請求額が耐えられる/耐えられない」が導入可否を分けるため、速度×コストの改善はそのまま適用領域を広げます。
また、オープンウェイト版は256Kコンテキストを想定しつつ、ホステッド版(Alibaba Cloud Model StudioのQwen3.5-Plus)では最大100万トークン級まで視野に入ります。これにより、従来は分割・要約・再問い合わせが必要だった業務(契約書束、監査証跡、設計書群、長期チケット履歴など)を「一度に読ませて、矛盾や依存関係まで含めて判断させる」設計に寄せやすくなります。
256K〜100万トークンで変わる業務設計
- 要約前処理の削減:分割・要約パイプラインが短縮され、実装と運用が軽くなる
- 根拠追跡の強化:長い一次情報を保持したまま、引用・参照を維持しやすい
- RAGの設計が変わる:検索で“拾う”より、重要文書を“持ち込む”比率が上がる
- 同時並行処理の現実味:高負荷時のスループットとコスト最適化が課題から武器に変わる
加えて、学習・推論効率に寄与する工夫としてマルチトークン予測や、長文でのメモリ圧を抑える注意機構の採用が示されています。B2Bでは、こうした“地味だが効く”最適化が、SLA・ピーク負荷・月次請求を左右します。
3. ネイティブマルチモーダルの実力:図面・UI・動画を業務で扱える意味
Qwen3.5のもう一つの柱が「ネイティブマルチモーダル」です。従来のように言語モデルに視覚エンコーダを後付けするのではなく、テキスト・画像・動画を同時に学習しており、視覚情報がモデル内部表現に“統合”されています。この違いは、画像を単に説明する用途よりも、テキストと画像の照合・推論が必要な業務で効いてきます。

例えば、図面と仕様書の突合、UIスクリーンショットを用いた操作手順生成、帳票やダッシュボードのレイアウトからの構造化抽出、動画の手順書化(安全教育・保全作業・接客研修)など、現場データはマルチモーダルが前提です。ネイティブ方式は、こうした「視覚→言語」変換だけでなく、「視覚と文章の整合性」や「画面上の状態に応じた次アクション」まで含めた性能向上が期待できます。
業務での代表的な適用シーン
- 製造:図面・検査画像・作業動画と、工程表/規格書の整合チェック
- IT運用:監視画面やUIの状態から、手順提案・チケット起票・変更影響の整理
- 営業/CS:提案書の図表、競合比較表、画面キャプチャを含む問い合わせ対応の高速化
- 法務/購買:契約書のスキャンや添付資料(図・表)を含めたレビュー支援
4. 多言語・トークナイザ強化がもたらす運用コスト削減(201言語・250k語彙)
企業利用で見落とされがちですが、Qwen3.5は多言語対応とトークナイザ(語彙)の強化が大きな実務メリットになります。対応言語は201言語・方言規模へ拡張され、語彙サイズも250kへ増加。非ラテン文字(日本語、韓国語、アラビア語、タイ語、ヒンディー語など)をより効率よく符号化でき、言語によってはトークン数が15〜40%減る可能性が示されています。
トークン数の削減は、そのまま「推論コストの削減」「応答時間の短縮」「コンテキスト上限の実質拡張」に直結します。グローバル拠点の問い合わせ対応、海外サプライヤとの文書処理、多言語の社内規程・教育資料の統合検索など、利用量が増えるほど差が出ます。特にB2Bでは、1リクエスト単価よりも“月間総トークン”が効くため、トークナイザ改善は財務的インパクトを持ちます。
多言語運用でのコスト削減ポイント
- 同一文書でもトークンが減り、API課金/自社GPU稼働の双方で効率化
- 翻訳前提のワークフローを減らし、二重管理(原文・訳文)を縮小
- 言語ごとのモデル分岐を抑え、評価・監視・ガードレール設計を統一しやすい
5. エージェント機能と開発者エコシステム:OpenClaw/Qwen Codeと適応推論
Qwen3.5は「質問応答」だけでなく、複数ステップでタスクを完遂するエージェント用途を強く意識しています。開発者向けには、自然言語でコーディング作業を委任できるCLIツール「Qwen Code」が公開され、またオープンソースのエージェントフレームワーク「OpenClaw」との親和性も打ち出されています。B2Bでは、モデル性能以上に“周辺ツールと運用部品が揃うか”がPoCから本番移行の速度を決めます。

さらにホステッド版では、用途に応じて推論モードを切り替える「適応推論(fast/thinking/auto)」が提供されます。これは、同じモデルでも「低遅延のチャット対応」と「時間をかけた複雑推論」を使い分けられることを意味し、部門横断での共通基盤化に向きます。例えば、コールセンターはfast、監査・設計レビューはthinking、といったSLAに合わせた設計が可能です。
エージェント導入で最初に決めるべきこと
- 権限設計:実行可能な操作(Git、チケット、クラウド、社内DB)を段階的に広げる
- 失敗時の安全策:ロールバック、承認フロー、実行前レビュー(human-in-the-loop)
- 評価指標:正答率だけでなく、タスク完了率、手戻り率、平均処理時間、監査ログ品質
6. 導入判断の実務:必要ハードウェア、オンプレ運用、Apache 2.0ライセンスの利点
オープンウェイトである以上、最大の論点は「自社で回せるか」です。公開情報ベースでは、量子化した運用でも概ね256GB程度のメモリが必要になり、現実的には512GB程度の余裕が望ましいとされます。つまり、ワークステーションではなく、GPUノード(あるいは複数GPU構成)を前提にした推論基盤が必要です。一方で、すでに推論用GPUを保有する企業にとっては、API依存を減らしつつフロンティア級に近い性能を確保できる選択肢になります。
オンプレ運用の価値は、コストだけではありません。機密データの外部送信制約、監査要件、ログ保全、プロンプト/ツール実行の統制など、B2Bの“止められない事情”に適合しやすい点が重要です。特にマルチモーダル(図面・画面・動画)を扱うと、データ持ち出しの心理的・規程的ハードルが上がるため、所有・制御できる運用は導入障壁を下げます。
そしてライセンス面では、Qwen3.5のオープンウェイトがApache 2.0で提供される点が大きな利点です。商用利用、改変、再配布が可能で、独自の制限条項が強いライセンスに比べ、法務・調達の確認コストを下げやすい。PoCから本番までのリードタイム短縮に効きます。
導入判断チェックリスト(実務)
- 想定ユースケースは「長文」「マルチモーダル」「多言語」「エージェント」のどれが主戦場か
- ピーク同時実行数とSLA(応答時間)から、必要GPU/メモリと台数を逆算できているか
- RAG/ログ/監査の設計が、オンプレ前提でも回る運用になっているか
- Apache 2.0の条件理解と、社内のOSS利用プロセスに沿った承認が可能か
まとめ
Qwen3.5-397B-A17Bは、「総パラメータは巨大だが、推論時は17B相当だけ動かす」という疎なMoEにより、1兆級モデルに対抗し得る性能を低コストで狙うアプローチを現実解に近づけました。256K〜100万トークン級の長文対応、ネイティブマルチモーダル、多言語トークナイザ強化、エージェント志向のツール群、そしてApache 2.0の明快なライセンスは、いずれもB2Bの「本番運用」へ直結する要素です。
次のアクションとしては、(1)想定業務の代表データ(文書・画像・画面・動画)で評価セットを作る、(2)ピーク負荷とSLAから推論基盤を見積もる、(3)エージェント権限と監査ログの設計を先に固める、の3点を並行して進めるのが近道です。「借りるフロンティア」だけでなく「持てるフロンティア」が選択肢になった今、Qwen3.5は調達戦略そのものを更新し得る候補と言えます。

